メキシコ・中米歌舞伎舞踊公演
「日本メキシコ交流400周年」記念事業
■日程
10月5日(火)出国〜24日(日)帰国

■訪問地(訪問順)
メキシコ合衆国(モンテレイ、メキシコシティ)
エルサルバドル共和国(サンサルバドル、サンタアナ)
ホンジュラス共和国(テグシガルパ) 3カ国5都市
10月8日(金)  モンテレイ公演 モンテレイ市立劇場 20:30開演
10月12日(火) メキシコシティ公演1 メキシコ市立劇場 20:00開演
10月13日(水) メキシコシティ公演2 メキシコ市立劇場 20:30開演
10月16日(土) サンサルバドル公演 サンサルバドル国立劇場大ホール 18:30開演
10月18日(月) サンタアナ公演 サンタアナ国立劇場大ホール 18;30開演
10月21日(木) テグシガルパ公演 マヌエル・ボニージャ国立劇場 18:00開演

■演目
1、レクチャー パート1「歌舞伎の歴史と音楽」
 解説 中村又之助/市川喜之助
2、「鷺娘」 長唄囃子連中
 鷺の精 中村京蔵
3、レクチャー パート2「女方の基本と立役の扮装」
 解説 中村京蔵/中村又之助
4、「石橋」長唄囃子連中
 雌獅子  中村京 蔵
 雄獅子  中村又之助
 寂昭法師 市川喜之助

■主催
国際交流基金

■共催
在メキシコ日本国大使館・在エルサルバドル日本国大使館・在ホンジュラス日本国大使館

■製作
松竹株式会社
「鷺娘」 鷺の精
「石橋」 雌獅子


メキシコ合衆国篇
メキシコ公演 パンフレット

メキシコ情報誌
メキシコ新聞記事
写真をクリックすると大きくなります。

10月5日

15:55 成田発のコンチネンタル航空006便にて出国。ひとまず乗り換え地の米国ヒューストンに向かう。
機中で読んだ新聞に、「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」と云う、昨今の坂本龍馬人気に疑問を投げかける、精神科医で評論家の野田正彰氏のインタビュー記事があった。「人は年齢を重ねるとそれなりに成熟していかないといけない。なのに青春像にしがみつくのは(中略)人格的に未熟だからです。」と云う言説には考えさせられてしまった。閑話休題。
コンチネンタルの機体は最新型だが、機材を軽くしている為か、かなりの騒音である。

13:50 ヒューストン着。トランジットするだけなのに、靴は脱がされるわ、上着は脱がされるは、ベルトは外されるわと、米国は相変わらずの厳戒チェック!4時間あまりの乗り換え待ちで睡魔が襲う。同5日19:30過ぎ、無事に第一公演地メキシコのモンテレイに到着。日本を夕刻に出国して、到着が夜半だから時差ぼけは全然ない。基金の大野氏らの出迎えを受け、ホテルにチェックイン。地ビールを飲んで午前零時前に就寝。

10月6日


8:00 起床して12階のホテルの窓から見下ろすと、昨夜は暗くてよくわからなかったが、ホテルの前は大きな川で、水はかなり濁り、河中は土砂が堆積し河川敷はかなり荒れ果て、工事現場の様相を呈しているので?あとで伺うと、三ヶ月前の巨大ハリケーンで氾濫し、河川敷の施設が壊滅的な被害を被った由。復旧ははかどっていない様子。

10:00 劇場下見。会場のモンテレイ市立劇場は1417席の大劇場だが、舞台と客席との距離が近く緊密ないい空間。間口、たっぱとも程よく、歌舞伎には丁度いい。

12:30 舞台監督の井口さんが市場を見学に行くと云うので同行する。生鮮食料品の市場に行きたかったが見当たらず、衣料品や日用雑貨が立ち並ぶエリアを見て歩く。縫いぐるみの店にNHKBSのド―モ君が居てビックリ!
話しは変わるが、ここモンテレイはメキシコ第三の都市で工業が盛ん。観光地ではないから、外国人はほとんどおらず、まして日本人は大変珍しいらしく、道行く人々は奇異な眼差しで我々を振り返る。明後日の初日の客席の反応がとても楽しみ。

16:00 新聞社の取材を受け、17:00より小野正昭駐墨大使、地元の有識者ご同席のもと、私、又之助丈、喜之助丈三人揃って記者会見。自分のひいおじいさんはサムライだったと云う日系人のご婦人に話し掛けられ本日2度目のビックリ!

20:30 在メキシコ国際交流基金主催の夕食会。夕刻、繁華街で発砲事件があって、外出は危険だとの判断から、急遽ホテル内のレストランに変更。23:00過ぎ、夕食会解散後、再三の忠告にも拘わらず、我が勇敢なるサムライ魂の大道具スタッフと鳴物連中は2ブロック先のセブンイレブンまで平気で買い出しに出掛けたのでありました!
(写真は劇場正面前にて)

10月7日

正午過ぎ、劇場入り。すでに午前中から井口さん以下スタッフの面々が舞台設営を開始している。この度のメキシコ公演3ステージは、日本よりコンテナで所作板、鷺娘と石橋の大バック、銀柳の釣り枝、石橋と牡丹の切り出し、山台、定式幕等々を運び、長唄連中も三丁三枚、お囃子連中も四人と、私がこれまで携わった海外公演では、最大規模となった。
12:30、楽屋で通訳担当の山脇女史と打ち合わせ。初のスペイン語によるレクチャーである。毎回、通訳の方との入念な確認とすり合わせが大事で、レクチャーのいい流れと成否も、通訳の方の腕に掛かる。山脇さんは大変誠実なお人柄で、私のアドリブにも難無く対応してくださり、おおいに助かる。喜之助さんが初参加してひとり増員したので、彼にも出てもらって、又之助さん担当の音楽と付打ちのレクチャーをふくらます。19:00前、後発隊の杵屋栄七郎氏と杵屋寿典氏が無事到着!彼等はたったふたりで日本時間10月7日の8:40に関空から成田へ向かい、成田での6時間のトランジットを経て、コンチネンタル航空で成田からヒューストンへ11時間55分掛けて向かい、あの身ぐるみ剥ぐやうな米国の厳戒チェックをくぐり抜け、そこで2時間30分ほどのトランジットのすえ、17:49にモンテレイ着、そして空港から直接劇場入りと云う難行程、強行軍を制覇して来たのである!脱帽!拍手!
19:45 当地メディアを招いての公開舞台稽古。15:00から入念な照明リハーサルをしたおかげで、照明に関してはほぼ完璧。大掛かりになった分だけ転換が手間取るが、段取りさえつけば大丈夫。舞監の井口さん、大道具スタッフ、そして劇場の現地スタッフとの橋渡しに尽力してくださる当地の笹本さん皆さんに感謝!感謝!23:00近く全て終了。長時間にもかかわらず、メディアの方々は最後まで熱心に見入ってくださり手応え十分!ホテルに戻って、24時間営業のホテル内のレストラン(とても助かる!)で松竹の中野さん達と、無事到着の栄七郎さんを祝って?乾杯!着いてすぐ舞台稽古だから、機中では一滴もアルコールを飲まなかったと云う栄七郎さんは開放感と安堵から赤ワインをしこたま飲んで絶好調!同じく三味線の勝進良さんは京都出身のお公家さん的風貌で、真顔で嘘をつくおとぼけ振りが堪らない(笑)しかし、いくら不死身の私も長旅と舞台稽古の疲れがどっと出て、くたびれ果てて、地ビールとワインを飲んでそのまま爆睡。

10月8日

20:00 モンテレイでの初日開幕。招待券も出ているそうだが、1400席はほぼ満席で、販売チケットはSOLD OUTで、観られなかった方がかなりいたらしい。有り難いやら申し訳ないやら。
又之助さんのレクチャーが始まると、山脇さんの丁寧な通訳もあって、客席の反応はいい。雪音の解説で、紙の雪をチラチラ降らすとホォー!という歓声が上がる。
鷺娘の幕が開く。モンテレイでは初めての歌舞伎公演だから、この初めて目の当たりにする異国の演劇の女方という存在を、客席は固唾を飲んで見守っている。集中度は高い。
衣裳を引き抜いても、なんの反応もないのは習慣の違いだから、全然気にならない…、と云うのは嘘で(汗)やはり手が欲しいところだから、次のレクチャーで、「畏まらずに、劇中でもいいな、面白いなと感じたら遠慮なく拍手してください」というレクチャーを追加しやうと思って、「鷺娘は如何でしたか?」と客席に振ったら、立ち上がらんばかりの歓声と拍手を戴いたので(手前味噌ですみません)、安心して追加レクチャーは止めにした。
やはり女方についてのレクチャーは何処の国でも興味津々で大受け。又之助さんの隈取りの化粧も熱心に見入って居る。
さて石橋は、今回グレードアップし、大道具も清涼山のバックも石橋も牡丹の切り出しもきちんと飾って、前シテこそないが、寂昭法師(喜之助丈)を出して清涼山に分け入る様を見せ、幕切れも石橋を渡る寂昭法師とそれを先導する雌雄の獅子という藤間勘十郎師苦心の振付が功を奏し、切狂言を一気に盛り上げる。スタンディングのカーテンコールを受け、22:55打ち出し。全体で2時間45分掛かり少し長いが、最後まで観客もほとんど席を立たなかったし、反応も十二分にあったので、今回はこれで行くこととする。
身体が慣れたせいか、きのうの舞台稽古ほど汗もかかないし、疲れもしなかった。モンテレイでの初日が無事に開き、手応えもあり、まずはひと安心!
今夜も地ビール一杯で目が回った。
(写真:開演前の舞台袖にて)

10月9日

16:00過ぎ 第二公演地メキシコシティ着
醤油味が恋しくなって、日本食レストラン「みかど」で夕食。酢の物と烏賊下足の塩焼きと海老天麩羅と〆に笊蕎麦。大関の冷酒にコロナビール。私が経験した海外の日本食レストランの中では内容もきちんとしていて上位。ただ、蕎麦は乾麺は仕方なくても茹で過ぎで×。久々に日本酒を飲んで目が回り、21:00には就寝。

10月10日

9:00 今日は休日でテオティワカン遺跡を見学。紀元前2世紀頃にこれだけ高度な文明が発達していたことに驚異!数学、天文学もさることながら、上下水道などの都市整備も完璧。
絶壁のやうな石段を必死に登り、太陽のピラミッドの頂上に到達。もとはここに神殿が立っていたという。地球の中心に立ったやうな崇高な思いがする。ここはパワースポットとして地元の善男善女が大勢詰め掛け、小さく光るパワーストーンに触れたり、瞑想したり、お祈りする人々が絶えない。月のピラミッドにも登り、パワーをたっぷり充電させて頂いて、舞台稽古も含めて明日から三日間のメキシコシティ公演に備える!
ガイドを勤めてくださった地元スタッフの清田さんの名解説に聴き入る。感謝!感謝!

10月11日

正午 小野駐墨大使公邸にて歓迎昼食会。小野大使ご夫妻の厚きおもてなしに深謝。
同 18:30 初日通り舞台稽古。劇場はいわゆるオペラ劇場様式だから傾斜舞台。それを大道具スタッフの皆さんが苦労して板木をかませて所作板をフラットに敷き詰める。若干傾斜が残るがまず問題ない。劇場の照明スタッフも苦労して歌舞伎の照明に挑んでくださる。通訳のイレーネ飯田さんは、元宝塚の男役だったと云う!(ビックリ) 又之助さんと多少息が合わないが、十分打ち合わせをすれば容易に解決。
全て通して2時間35分で終了。21:30に劇場を出て、又之助さん、喜之助さん、衣裳の武村さん、床山の宇田川さんと五人で「みかど」で夕食。メキシコシティ公演の成功を祈って乾杯!

10月12日

20:00 メキシコシティ公演第一日目開幕。今日あすと今公演眼目の二日間である。会場のメキシコ市立劇場は1920年頃に建てられた建物は古いが、雰囲気抜群のオペラハウス。四階席までほぼ満席。定刻に開幕。
又之助さんのレクチャーで、大太鼓の雪音をなんの音でせうと客席に尋ねると、心の音(モンテレイでは心臓の鼓動)だとの解答が返って来た!のは初めての経験。確かに、雪音はしんしんと心に凍みいる雪の象徴の音だと納得。
さて鷺娘は、銀柳の釣り枝を下げ、銀葦も増やし、長唄連中もひな壇の山台を組み、大バックも清長風の川の流れ(近頃は湖風なのが多いが鷺は川に棲息するものだ)で舞台設営も万全。しかし、肝心の私は、高地故の酸素不足で、苦しいのなんの!昨日の舞台稽古から楽屋に酸素ボンベを用意して貰ったが全然追っ付かない(涙)昨年の米国デンバーでも酸素不足は経験したが、標高が600メートル以上も高いメキシコシティはデンバーの比ではない。苦しい〜ッ!
中野さんが、「高地に慣れるには半年以上掛かります」とか、喜代田さんが「メキシコでは運動とお酒は控えろって云いますから、こんな激しい踊りは踊っちゃいけませんよ」なんて平気な顔して宣う。そんな〜ッ!(唖然)長唄さん、お囃子の皆さんも酸素不足がいかに大変かは同様である。
どうにか踊り了えて、楽屋で酸素吸入して15分の休憩のあと、息付く暇もなくレクチャーの幕が開き、客席に「只今、鷺娘を踊りました中村京蔵です」と挨拶をしたら、さぁ、万来の拍手が鳴り止まない!と、こんなことを書くなんて手前みそもいいところで厚顔の至りだが、私はこんな地鳴りのやうな拍手を貰ったことはこれまでついぞない。本当に嬉しい!有り難い!

歌舞伎の役者をやっていてつくづくよかったと思う!やっと師匠孝行、親孝行が出来た!そう思ったら、その夜、師が夢に出た!現在、病床に居る師が杖こそ突いてはいるがすっかり元気になって、歌舞伎座と覚しき楽屋口にすっくと立って居て、扮装をした私がそこを通り掛かって師に気付き、ビックリして駆け寄って「旦那、すっかり元気になられましたねッ!」と声を掛けると、師匠はいつものポーカーフェースで「あともうちょっとなんだよ」とすぐにも舞台復帰出来そうな素振りを見せ、迎えの車に乗り込むのを、私は扮装したまま、外へ見送りに行ったところで目が覚めた。これが正夢になること願うや切!

話しは戻って、メキシコシティの人々はシャイだと聞いていたが、「さぁ、ご一緒に!」と促すと、女方の泣いたり笑ったりを積極的に演じ参加して楽しんでくださるので、一気に舞台と客席がひとつになって盛り上がったのでホッとする。しかし、自分を指差して年齢を表す仕草(梅の下風に図解入りであります)は、モンテレイでもメキシコシティでもあまり反応がなくて、ピンと来ていない様子なので、高齢者に対する失礼な表現と受け取られたか?と案じて、笹本さんや喜代田さんに聞いてみたところ、メキシコには、なんと自分を指差す表現がない!?からだそうである。
さて、切幕の「石橋」。私も又之助さんも酸素不足と傾斜舞台に必死に闘いながら毛を振って、なんとか無事に第一日目を打ち出した。終演後、2階ロビーでのレセプションで、にこやかな小野大使から労いのお言葉を頂き、まずは大任を果たせた安堵感からホッとして、ワイングラスをグッと干したのでした。

10月13日

20:30 メキシコシティ公演第二日目開幕。
招待客の多かった昨日より客席は確実に埋まっているのは嬉しい限り。
鷺娘は昨日より苦しくないが、白無垢から赤への引き抜きが0、2秒遅れたのは、油断した私が、やるべき作業を忘れたからで、最大の痛恨事!
女方のレクチャーは昨夜以上に盛り上がって一安心。だが、やはり酸素不足は侮れない。石橋は苦しくてたまらない!又之助さんも毛振りが絡んだのが最大の痛恨事!お互い痛恨事をひとつずつ抱えて、ともかくスタンディングのカーテンコールを受けて、二日目も無事閉幕。
酸素不足と闘い、交流400年記念公演という大任の重圧感から、精も根も尽き果てた!嗚呼!
このメキシコ公演で三味線の栄七郎さんと唄の寿典さんと大道具の坂元さんが帰国されるので、そのお疲れ様会を兼ねて、ホテルのレストランで24:00から中日パーティー。山荘太夫の舟別れではないが、北と南、西と東に別れ別れの空の旅で、地ビールとワインでたっぷり別れを惜しんで、さぁ、明日からは今公演最大の難所、エルサルバドルと ホンジュラスに向けて、いざ出陣!!!

【第1公演地メキシコのモンテレイ】
モンテレイの空港に到着
モンテレイ市立劇場の舞台から客席を臨む
小野駐墨大使を中心に公演記者会見
モンテレイ市立劇場は1417席の大劇場
鷺娘の出の前 舞台袖にて
石橋の舞台面
「石橋」私(左)と又之助さん
在墨国際交流基金主催の夕食会
アボガドと豆腐!?の入った美味しいメキシコのスープ!!
【休日】
太陽のピラミッドの頂上にて
太陽のピラミッドの頂上にあるパワーストーン
頂上のパワーストーンに触れる
【第2公演地メキシコシティー】
メキシコ市立劇場正面
劇場内2階ロビー
豪華な客席と天井
プロセニアムアーチの舞台
鷺娘の舞台面
鷺娘の出の前

エルサルバドル共和国篇
サンサルバドル
新聞記事

10月14日

16:48 メキシコシティ発 TA231便
栄七郎さん達帰国組と別れて、本隊は次の公演国エルサルバドルへ向かう。メキシコはサマータイムなので一時間の時差があり、二時間ほどのフライトののち、18:00前に首都サンサルバトルに到着。
ここでエルサルバドル(救世主)共和国の概観を記すと、中米七ケ国のひとつで面積は九州の約半分。ここも元スペインの植民地で、公用語はスペイン語であるが通貨は米ドル。火山国で各地に火山が点在する。中でも休火山のサンサルバドル山は再噴火間近と云われている。高温多湿だと聞いていたが、空港に降り立った感じでは、標高が800メートル(軽井沢辺り)くらいあるせいか、また乾期に入ったせいか、そんなに暑くなくカラッとしていて過ごし易そう。
しかし、銃器を用いた犯罪が多発。青少年凶悪犯罪集団マラス絡みの事件が顕著で、殺人発生率は日本の70倍だと云う!えらいところへ来てしまったものである(怖気)
空港では、大使館のご配慮で、パトカー、護衛車などが待ち構え、ホテルへの移動も、まず荷物を積んだトラックが先頭に、次に護衛車、その次に我々の乗ったマイクロバス(私服警官同乗)が連なり、最後尾にパトカーという物々しさ!これから6日間の滞在中、ホテル内以外での我々の行動はすべて彼等警官の監視下に置かれる。夜間の外出はもっての外の厳禁!昼間のひとり歩きももちろん禁止である。
ホテルに着いて夕食は近所の中華飯店に行くことになったが、歩いて5分ほどのところなのに、全員またマイクロバスに乗り、パトカーが警備するという念の入れやう。帰りにみんなでスーパーに立ち寄って飲料水を購入することになったが、レジで支払いをしていると、目の前で機関銃を構えた警官が見守っているのでビックリ仰天!
とにかく、メキシコの疲れがどっと出たのと、当地の警備の厳重さに目を白黒させて、シャワーを浴びて23:00前早めに就寝。


10月15日

8:20 地元テレビに生出演の為、寝ぼけまなこに朝食抜きで、紋付羽織袴の正装で、大使館の廣田女史に付き添われて(勿論、パトカーに守られて!)6チャンネルテレビ局に向かう。
朝の情報生番組「今日も元気で!」という番組で、9:00過ぎより5〜6分出演。昨年のロスでの私の鷺娘の映像を流しながら、廣田さんの通訳を交えてキャスターの方の質問に答え、公演の宣伝に努める。「歌舞伎は日本のほかの演劇とどう違うのか?」とか「エルサルバドルの人々になにを伝えたいか?」とかの質問の数々。好意的なテレビ局の方々の対応に感謝。
10:00前にホテルに戻って、又之助さん、喜之助さんと合流して新聞一紙の取材。ホテルの庭(上天気で心地よい風が吹き爽快)で三人揃って紋付羽織袴でポーズを決めて写真撮影。
11:00より別の新聞二紙の取材と撮影。しかしながら各紙の記者さんは皆さん歌舞伎をよく調べられていて、興味本位でなく、誠実に歌舞伎を理解しやうとされているのが伝わり嬉しい。12:00取材終了。紋付を脱いで、ホテル内の日本食レストランでやっと今日はじめての食事にありつける。
15:00 ホテル内のスパで90分間のアロマオイルマッサージ。首、肩、腰が耳鳴りがするくらい凝り凝りで、ハードにやってくれと頼んだら、華奢な女性スタッフなのに、まぁ、ボキボキ系の整骨院みたいに揉むわ!揉むわ!でも、揉み返しもなくスッキリ。

19:30 加來日本国大使主催夕食会。
実は、2004年に同じ歌舞伎レクデモ公演でニュージーランドのウエリントンを訪れた時、加來大使は公使として赴任されており、大変お世話になった経緯がある。その時の斎藤大使とは、昨年の台湾公演で再会しており(台湾では日本交流協会代表)、つくづく、偶然とは思えぬ人と人との縁の深さを噛み締めた次第。
加來大使は6年振りの再会を大変喜ばれ、歌舞伎通の奥様(聖心女子大学歌舞伎研究会のご出身)共々、大歓待でお迎えくださった!
各日本国大使館は、国際交流基金に様々な日本文化の派遣要望を提出し、それを基金がコーディネイトするのだが、歌舞伎のやうな大掛かりなものは遠隔の小国に回って来ることはめったにない。それが今回、メキシコとの交流400周年記念事業として歌舞伎舞踊公演が開催されることになり、隣国のエルサルバドルとホンジュラスでも巡回が可能になったわけで、加來大使はこの初の歌舞伎舞踊レクデモ公演実現を心底喜ばれて、「親日国のエルサルバドルで、歌舞伎のやうな日本の伝統文化を紹介することは大変意義のあることで、人々も心待ちにしていましたよ!」とおっしゃた上で、エルサルバドルの国情を述べられた。大使はこの国のよいところ悪いところを把握し、全てを理解しておられ、なんとかこの国をよくしていかなければならないと真摯に語られた。「だから、日本の技術協力は勿論、こういう文化交流が必要なんです!エルサルバドルは今まさに石の橋を渡ろうとしている、それを先導するのが獅子ならぬ日本国なのです!皆さんの明日の公演を期待しています!」と我 々を激励してくださった。私は大使のお言葉を聞いてつくづく感に堪えた。赴任された国を愛し、祖国を愛し、平和を願う大使のお心。特命全権大使の鑑のやうな方だと尊敬の念をあらためて深くした!
ふと我に返って、6年前のニュージーランドでも私は鷺娘を踊った(その折はテープ演奏) 今回も大使ご夫妻の前で同じ鷺娘を踊る。私は自分の進歩のなさに暗然とし、背筋がぞっとした。明日の舞台は、褌を締め直さねばと自戒して、大使公邸を辞した。

10月16日

18:30 サンサルバドル公演開幕。
会場のサンサルバドル国立劇場大ホールは、旧市街の中心に立地し築100年ほどの建物。長らく閉鎖されていたらしいが、7年前に改装し再開場した。劇場の隣りは教会で、正面向かいは広場。多くの店が立ち並び、人々が集い、喧騒を極めるが活気に溢れている。
昼間のリハーサル前の休憩時間に、又之助さんと喜之助さんがふたりの護衛警察官と私服警官と大使館の曾田さんに守られて、街を散策に出掛けたが、じろじろと好奇の目で見られるし(護衛付きだから尚更)、街中も一種異様な雰囲気だそうで、ソソクサと帰って来た。
護衛と云えば、今朝のホテルから劇場までの運行も、私達が乗ったマイクロバスをパトカーがサイレンを鳴らしながら先導し、渋滞の車を大地が裂けるやうに掻き分け掻き分け(喜之助さんいわく「モーゼの十戒みたいですね!」)、猛スピードで行くさまは、まるで映画のワンシーンのやうで、そんなに急がなくてもいいし、悪目立ちするから止めてほしい〜ッと心で叫んでドッと疲れた!後にも先にもこんな経験はない(ある訳無い) 貴重!?な体験。
話しは戻って、当公演は大使館の主催だから無料(メキシコ公演は交流基金の主催だから有料)。そのせいもあってか、開演2時間前から400人もの長蛇の列!それでも人々は劇場の周りを十重二十重に取り囲んで、結局、招待客が230人ほどいるから、入場出来た一般客は400人で、入場出来なかった人々はなんと4〜500人にも及んだそうだ!
人々は、明日も公演してほしい!とか終演後11:00からもう一回公演してほしい!と詰め寄ったそうだが、大使館の皆さんが、次週の日曜日にテレビで公演全演目を収録放送すること、明後日サンタアナでも公演することを告知して、ようやく納得して引き取ってもらったそうである。嬉しい悲鳴!

舞台は板目で、リノリュームでないのはおおいに助かるが、硬いから足腰、膝が堪らない!大使のご挨拶のあと、定刻に開幕。又之助さんがこれはなんの音でせうと客席に尋ねると、「雪の音」と名解答!
鷺娘で、引き抜きの度に拍手が来るのはやはり嬉しい。ラテンの乗りというか、熱狂的ないい感じ。地舞台だから足は辛いが、酸素はたっぷりあるので!(笑)呼吸は楽。つくづく酸素と所作板の有り難さを痛感した次第。女方のレクチャーも反応がいいので助かる。
石橋も毛振りを余裕で仕了うせた後、スタンディングのカーテンコールを頂いて、21:05に打ち出し。開演中、三人それぞれに掛け声がグッドタイミングで掛かるので、どなたが掛けているか探ったが正体不明?終演後、大使ご夫妻がわざわざ楽屋にお越しになり労いのお言葉を頂いた。「サンタアナにも参りますよ!」と熱意溢れるお言葉にただただ恐縮するばかり。
ふと、楽屋の窓から外を見下ろすと、昼間の喧騒とは打って変わって人通りが途絶え、街灯も乏しく暗い。楽屋口を出やうとすると、小さな子供達がたむろしていて、私達が手にしている夜食のサンドイッチの包みやコカコーラの缶を物欲しげに見詰めている。よっぽど与えやうかと思ったが大使館の方に癖になるからやめてくださいと止められた。貧富の差の激しい中米諸国のこれが現実だ。
この子供らはこの公演を見ることが出来たのだろうか? 昨夜の大使のお言葉が胸に堪える。

10月18日

18:30 サンタアナ公演開幕。
ここはサンサルバドルから車で一時間ほどの地方都市。午前中にマイクロバスで向かう途中、長閑な田園風景が続くが、放牧されている牛や馬は皆やせ細っている。街の中心の広場の前に立つサンタアナ国立劇場は、築100年ほどで普段は劇場そのものを見学の為に開放している。雰囲気も金比羅の金丸座や秋田の康楽館を想像して頂きたい。
サンタアナは長閑な田舎街で、治安が悪いなんて思えぬいい感じ。護衛の警官の皆さんも少しリラックスした様子で、すっかり顔見知りになったので、打ち解けて、広場で記念撮影!?
楽屋の窓から見下ろすと、目の前が雑貨屋らしきお店でその左角が小さな交差点。そのコーナーを後ろ手に手錠を掛けられた少年が警官ふたりに連行されて行き過ぎ、行商のおばちゃんふたりが、果物が山盛りになった大きな籠を頭に載せて談笑しながら行き過ぎる。人生こもごも…。

ところで、保存博物館みたいな劇場だから設備は不備で、エヤコンがないから暑くて堪らない!開演間近か湿度がどんどん増して来る。蒸し暑い!
案の定、開演後間もなく激しいスコール!今公演はじめての雨。
こちらも長蛇の列で、入りきれない観客が400人ほどいたという。申し訳ない。鷺娘の幕が開く。舞台は多少傾斜があるが、まず問題ない。が、大変な湿気で息苦しい!体力がどんどん消耗する。やっと酸素不足地獄から開放されたと思ったら今度は湿気焦熱地獄!トホホ(涙)しかし、早拵えの為舞台袖に引っ込むと、大使館の辻本さんはじめ、運転手さんまで皆さん総動員で、扇いで風を送ってくださる。その親切に涙が出るほど嬉しくて、気を取り直して必死に踊って無事に幕。
だが、レクチャーでも頭がボーッとして呂律が廻らない。そこを必死に踏ん張って、ラストの石橋は限界ギリギリで毛を振って、私も又之助さんもぐったり。
この劇場でもいい間で三人に掛け声が掛かる、どなただろう?
とにかく、はじめて観る異国の歌舞伎と云う演劇文化に、サンサルバドルでもサンタアナでも観客の皆さんがストレートにいい反応を示してくださるので、大変やり甲斐があり、手応え十分だった。

終演後、雨も上がった。荷物をまとめて、片道1時間の距離をサンサルバドルのホテルまで戻ると、はたして、加來大使ご夫妻がご持参の日本酒を携えて、我々を待ち受けてくださっているではないか!早速、ホテルの日本食レストランで打ち上げパーティー。
大使のお喜びやうはひとしおで、お心尽くしの日本酒で乾杯したあと、「皆さんは歌舞伎の伝導師ですよ!」と過分にして最高のお褒めのお言葉を頂いて感無量。我々の苦労が報われた思いである。それもこれも大使館の廣田、辻本、曾田さんはじめ、職員の方々の獅子奮迅の働きがあったればこそで、ことに辻本さんの現地スタッフへの采配はお見事!舞台監督の井口さんの助監督として完璧だった!大使館の皆さんの親身なる対応に心から感謝申し上げる。
ところで、私の勘が当たって掛け声の正体はやはり大使御自身だった!歌舞伎通の奥様のご指導宜しき故と納得(笑)
すでに午前零時近く、大使ご夫妻も我々も名残りは尽きないが、またいつか何処の国での再会を固く誓ってお別れした。

【第3公演地エルサルバドルのサンサルバドル】
加来日本国大使主催夕食会にて
前列中央が加来大使御夫妻
サンサルバドル国立劇場大ホールの客席と天井
サンサルバドル国立劇場大ホールの舞台
劇場前で寛ぐ皆さん
楽屋の窓から見下ろすと向かいは床屋さんでした
「鷺娘」出の前 床山の宇田川君です
【第4公演地エルサルバドルのサンタアナ】
劇場正面(サンタアナ国立劇場)
ピストル禁止標識!
護衛の警官の皆さんと!
劇場ロビーにて
楽屋の窓から見下ろすと・・・
「鷺娘」出の前 楽屋の壁は素敵なグリーンでした。
同じく「鷺娘」出の前

ホンジュラス共和国篇

10月19日

15:50 最終公演地ホンジュラス共和国の首都テグシガルパに到着。
当国も元はスペイン領。中南米最貧国のひとつだという。面積は日本の三分の一。日本円に換算して5000円あればひと月なんとかやっていけるそうだが、収入が5000円以下の人々が人口の70パーセントもいて、とんでもない大金持ちは一割、九割が貧困に喘ぐという。ここでも貧富の差は顕著。おもに農業国だが日本との直接の交易はない。が、日本からの経済援助、技術協力、海外青年協力隊の活躍などは顕著で、そういった意味での関係は深い。勿論治安も悪いから、ここでも大使館のご配慮で移動は全て護衛付き。殺人、強盗、誘拐などが増加の一途だという。空港からホテルも、まず警官ふたり乗りのバイク二台が先導し、マイクロバスを挟んでパトカーが後方を守るという陣営!それも先頭のバイクがサイレンを鳴らしっぱなしで渋滞の車を蹴散らかすから、マイクロバスの飛ばすこと!飛ばすこと!
前号その6、16日の項で、護衛付きの移動は二度とない経験と記したが、ここホンジュラスで、サンサルバドルを上回るインパクトで二度目の経験をするとは思いもよらなかった!実際大層な渋滞で、聞けば鉄道はないから、移動は車かバスだけ。車も教習所はなく、手数料を払えば免許を取得出来る!?というアバウトさ!信号もないから、人々も到るところで車をかい潜って横断!
緊急車両よろしくマイクロバスはホテルに到着(そんなに急がなくてもいいのに〜)し、 ロビーで再度、大使館の方から治安の悪さとくれぐれもひとり歩きは厳禁ですとの告知を受けて、でも飲料水だけは確保せねばならないから、又之助さんと喜之助さんと三人身を固くして、ホテルの前の車道を摺り抜け、向かいのショッピングモールの一番奥のスーパーまで辿り着いて、三泊四日分の飲料水を買い込む。いやはや、買い物も命懸けである!
溜まった洗濯物を部屋で一気に片付けた後、日記の更新原稿を日本に送信しやうと思ったら(ノートパソコンは日本に置いて来たので、携帯から送っています)、さぁ、これが圏外で通信不能(涙)さすが中米!?とリアルタイムでの更新を断念した。そんな次第で日記の更新が大幅に遅れております。申し訳ございません。
さて、原稿だけ作って保存したあと、外に出るのも憚られるから、夕食はホテル内でひとりで済ますことにする。そこで頂いた海老(ブラックタイガー)のグリル、ガーリックソース添えと木の実入りの黒パンがなかなかの美味。
プールのある中庭を取り囲むやうに建てられたこのホテルはリゾートホテルの様相を呈し、利用者は地元の富裕層か、投資家の外国人ビジネスマンがほとんどだと云う。
貧困国の新市街に建てられたこの資本主義の権化のやうなホテルは、砂漠の中のオアシスの様で、複雑な感慨に囚われた。

10月20日

9:00 30チャンネルのテレビ生出演の為、又之助さん、喜之助さん三人共、紋付羽織袴の正装でホテル出発。
10:30より30分間、まず大使館の吉澤さんが公演内容、劇場、日時等を告知したあと、我々三人のインタビュー。何処でも必ず聞かれるのが、なぜ全て男性のみによって演じられるのか?という質問。私は、女方は世界のあらゆる演劇、舞踊の原点に必ず存在したもので、それが21世紀の今日まで存続継承されて来たのは歌舞伎のみであり、歌舞伎は400年の歴史の中でそういった形態を維持して成熟して来た演劇であり、女方が女優に取って替わられたら私達は失業するでしょ?(笑)と締め括ることにしている。解説書には必ず、女方は女優の代替えとして発生したとあるが、もはや女方として自立した芸が確立している今日、海外のレクチャーでそこまで言及する必要はない。「女優の代替え品ではない」、それは私自身への女方としての自覚と自戒の言葉でもある。
11:00過ぎにホテルに戻って、昼食、休憩後、14:30より10チャンネルのテレビ生出演。紋付羽織袴姿に興味を示すのは何処も同じ。石橋の映像を観ながら、肉体トレーニングについて詳しく聞かれる。
18:30 塩崎大使主催夕食会。大使公邸は山の頂上にあり、気温も低くヒンヤリと寒いくらい。松林越しの夜景が美しい。 大使が、ホンジュラスでのはじめての歌舞伎公演について、「ホンジュラスの人々に理解出来るかなぁ〜?」とおっしゃったので、私の中に眠っていた負けず嫌いの闘争心が久々にメラメラと燃え上がった!大使のお言葉は、私達の舞台に臨む気持ちを鼓舞するものと前向きに捉えたい。お心尽くしの和食を堪能して、21:00過ぎ公邸を辞した。

10月21日

11:00前 劇場入り。本日のテグシガルパ公演をもって目出度く千穐楽。
会場のマヌエル・ボニージャ国立劇場は、旧市街の中心に立地する650席の中劇場。築年数は聞きそびれたが、かなり古いらしく楽屋にエアコンはない。今日は湿度が低くカラッとしているから、一階の私の楽屋は扇風機で凌げるが、劇場の熱気、温気は上方にかなり篭るらしく楽屋が二階にある又之助さん達は暑くて堪らない。客席は一階席を取り囲むやうに一段高くバルコニー席がぐるりとあり、二階席はバルコニー席のみ。その上は少し空間があって天井が低く迫っている。
築年数が古いはず、井口さんいわく「舞台の天井に蝙蝠が住んでますよ」 、えーッ!(仰天)
歌舞伎座ではむかし猫と鳩、ベトナム、ホーチミンの劇場では鼠と守宮(ヤモリ)にお目に掛かったことはあるが、蝙蝠は初見参。
リハーサル中、飛行する黒い影を確かに確認!大道具の藪田君は今朝早々、蝙蝠のオシッコ飛来の浮き目に遭ったそうだ!よく見ると一文字の黒幕に所々糞尿の痕跡がある。
鷺娘の古い演出では、烏四天が絡んだそうだが、鷺娘に蝙蝠とは新趣向!なんて冗談はさておいて、いやはや戦々恐々の楽日である(汗)

舞台はやはり傾斜があり、所作板を敷いたメキシコは別にして、地舞台では今公演会場中、最大傾斜(2005年に行ったイタリア、ラベンナの劇場ほどではない。その時は足がつった!)。危ないので鷺娘の下駄はカットさせて貰う。上手にハの字で地舞台に坐る長唄の伊千四郎お師匠さんはバランスが悪くて気分が悪くなったそうだ。次回からは傾斜舞台用の合引を特注しなければならない(ほんとに)
三味線の左敏郎さんに聞くと、上手ハの字の場合は大丈夫だが、むしろ正面に並んだ場合、前のめりになるから演奏は辛いだろう?とのこと。
大使館側から、終演が遅くなると、帰路につく観客が治安上危険なので、二時間強で納めてほしいとの要請があり、協議の末、鷺娘と石橋はそのまま。レクチャーを所々カットして、休憩も5分縮めて、2時間35分を2時間15分に短縮することで合意。その為、幕開きは、又之助さん、通訳のイレーネさん、長唄連中、お囃子連中全員板付きとし、歌舞伎の歴史の解説もそこそこに、すぐに長唄の解説に移り、ご当地の文句を織り込んだ唄入り、大小入りの「吉原騒ぎ」の演奏としたところ、これが壮観で賑やかでとてもいいので、次回からはこの演出でいくことに決める。

15:00過ぎリハーサル終了。昼食に頂いたラザーニャがとても美味しい。
開演30分前、一座全員と千穐楽の挨拶を交わして、18:00、大使のご挨拶のあと18:05に開演。又之助さんのレクチャーも快調な滑り出し。鷺娘では、楽日なので、大道具の藪田君が猛吹雪の大盤振る舞い!
鷺娘は2004年以来、この海外レクデモ公演では必ず上演しているが、海外版としてのアレンジは一切なし。師匠の演じ方、教えを忠実に守っている。師は「鷺娘は藤間流の古い型を踏襲し、それに六世勘十郎師が私の身体に合わせてアレンジてくれたものだ」と云い、さらに「衣裳は初演の折、鳥居清忠先生にデザインをお願いして、柄(雪持ち柳に鷺)は同じで、色目が次々替わって行く道成寺方式をとった」と常々私に話していた。
さて、女方のレクチャーも順調に、客席の乗りもよく一安心。、石橋も傾斜舞台で前のめりになるところを必死に踏ん張って毛を振り切り!、三人決まって無事打ち出し。初参加の喜之助さんは目をウルウルさせている。カーテンコールで明るくなった客席を見上げると、なんと二階バルコニー席と天井との間に人々が十重二十重にひしめいているではないか!!あそこにも客席があったのか!? 鷺娘とレクチャーの時は暗くて気が付かず、今朝楽屋入りの時も、客席を見上げた限りでは天井桟敷がある構造だとは全く気が付かなかった!(不覚!鷺娘でもレクチャーでも、もっと目線を上げればよかった!)
大使館の斎藤さんに聞いたところ、天井桟敷は立見を含めて定員の倍以上詰め込んだので、キャパ600人のところ総人数1300人もの方々が入場したとのことだった!

はじめての歌舞伎公演で正直不安はあったが、中米諸国でこんなにも歌舞伎に関心と反応があったこと、それは、昨今の日本のアニメブームがここ中米も例外ではないから、それにより日本に関心を持ったり、日本語を学ぶ若い人々が増加したということの影響もあるだろう。しかし、どのやうな取っ掛かりにもせよ、歌舞伎や日本文化に興味を持ち、それを実際目の当たりにして面白がってくれる、体感して感動してくれる、歌舞伎にたずさわる者としてこんな嬉しいことはない!指命達成である!
撤収の時間が迫っているので、化粧したまま楽屋浴衣に着替えて、客席2階ロビーのレセプションに駆け付け、大使にご挨拶して乾杯したあと、楽屋に戻ろうと階下に降りると、劇場入り口にはまだ黒山(人々はほとんど黒髪です)の人だかり!興奮醒めやらぬ若い人々が多いのが頼もしい限り!
懸念した蝙蝠君も開演中はおとなしく、微動だもしなかった!私はこの蝙蝠様はこの劇場の守り神だと確信した!
ホテルに戻って、22:30よりプールサイドの中庭で打ち上げお疲れ様会。皆さん晴々とした表情。伊千四郎お師匠さんが、「こうなったら世界制覇を目指しませう!」と上機嫌。達成感と開放感から会話は尽きず、杯を重ねる。
中天に掛かる白い月が美しい。
この度も、各大使館の皆様、現地スタッフの皆様、助監督としてお骨折り頂いた笹本さん、喜代田さん、通訳の山脇さん、イレーネさん、そのほか多くの現地関係者皆様のお力添えを頂きました。感謝の言葉が尽きません。この場を借りて心より御礼申し上げます。

10月24日

15:00前 無事成田に帰着。
中野さんの挨拶、私の挨拶、又之助さんの音頭で一本締め。同志の人々15人と再会を約して、さらば、さらばと西と東にそれぞれ帰路についたところでチョンと柝が入り、この度の旅日記もまずはこれ切り!

【第5公演地ホンジュラスのテグシガルパ】
現地のテレビ出演
同じく
塩崎大使主催夕食会にて
右から私、塩崎大使、又之助丈、喜之助丈
マヌエル・ボニージャ国立劇場 客席内部演
その舞台
千穐楽 三人で記念撮影
目出度く帰国!ホンジュラスの空港にて

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