2008年10月25日 中村京蔵舞踊の夕べ 「月の影」「あなめ−小町変相−」
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 久々に「小町物」に取り組みました。五條詠昇師の「あなめ」は、私が小野小町という女性に深く興味を抱くきっかけとなった作品で、私も平成2年以来4演目と回を重ねさせていただいております。しかし、上演のお許しを頂いた本年初め、詠昇師は忽然と旅立たれてしまいました。詠昇師にご指導を いただけないのは痛恨の極みですが、今回は能舞台での上演とあって、また新たな気持ちで現・珠實師とディスカッションを重ねながら再創造させていただきました。

 「月の影」は、素踊り形式の「小町物」を創りたいと思っていた矢先、格好の作品と出逢えまして、作者の宮西氏にご無理なお願いをお聞き届けいただき、振付の藤間勘十郎師、作曲の山彦千子師のお力添えを得まして上演の運びとなりましたことは望外の喜びでございます。


【月の影】
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河東節の山彦千子師
お囃子の田中傳左衛門師
お箏の高橋翠秋師をはじめ
地方の皆様には大変お世話になりました。

【あなめ −小町変相−】
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二部ではカーテンコールを
させていただきました

【他
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藤間勘十郎師には毎回大変お世話になっています
衣裳の松本さん(左)と内藤さん
我がチームにはなくてはならない存在です!
「あなめ」の帯選びに悩んでいます(笑)
床山の細野さん
「月の影」のあたま。
十能と云います。細野さん渾身の傑作です!
上は「月の影」の扇、こまかい銀の箔を散らした上に金箔の片割れ月を描いてもらいました。
下は「あなめ」の百花の扇、以前吉村古ゆう師が所蔵する江戸後期の扇に魅せられて、同じ柄で誂えました。こちらは表面。
「あなめ」の百花の扇、こちらは裏面です
「あなめ」のどくろと銀のススキ
詠昇師ご自前の小道具で、欧州公演の折も同行しました
今年は一部・二部とも完売御礼!ありがたいことでした
毎回、たくさんのお花をいただきありがとうございました

【演目】
【解説】
《「月の影」》

 女形による素踊り形式の「小町もの」を創りたいと考えていた矢先、学生の時からの友人宮西芳緒氏が「こんなものを書きました」と偶然見せて下さったのが「月の影」の原稿だった。私はそれを一読して、即座に「青白い月光の中で無心に踊る少女の姿」が脳裏に浮かんだ。それは、人の世の無常をいやと云うほど体感して、深い陰影に彩られてはいるが、しかしなお、心は豊饒な光に満ち満ちている女の姿といったイメージだろうか。

 実は、宮西氏の「月の影」に寄せる想いはべつのところにあって、それは、いずれ、どなたかが創られるとして、この度は私の独断と思い込みに満ちた「月の影」と思し召し頂きたい。

 そのことを快くご理解下された宮西芳緒氏、また様々にご苦労をお掛けした藤間勘十郎師、山彦千子師、高橋翠秋師、田中博次郎師、各師に心より感謝申し上げる。

 小町の魂を癒したい・・・そんな想いで踊りたい。



《「あなめ」−小町変相−》

 昔物語に、小野小町の髑髏の目穴からすすきが生え、「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」−あな目痛し−と泣いたといいます。

 小町の妄執は死してなお消えず、小野の霊に引き寄せられた旅の若者の前にあらわれ、ありし日の華やかな姿となって若者を幻惑します。若者は迷いを振り切り、小町の妄執はなお永遠につづいてゆくのです。(五條詠昇 述)


 この「あなめ」は、様々な伝説に彩られた小町を主題に、五條詠昇師が、1986年に、国立劇場の委託を受け、まず創作舞踊試演会で発表され、翌年の国立劇場創作舞踊公演で改めて上演されたものである。両公演とも、小町は吾妻徳彌師、旅の男は五條雅之助師(現・珠實師 以下同)であった。

 その後1990年10月、詠昇師の創作作品集の舞踊公演にて「あなめ」は再々演されたが、今度は私に小町役の白羽の矢が立った! 師雀右衛門はこれを大変喜んで下さり、「しつかり演ってこい!」と背中をボンと押して下さった。私と小町との邂逅はこれが契機となった。

 さらに2002年、珠賞師のリサイタルでの上演の折も、私は再び小町を勤め、その時は詠昇師の監修のもと、珠實師が「小町と若者の色模様」のくだりを膨らませ補綴した新演出をとり、そのかたちが定番となった。

 さて2005年3月、国際交流基金主催の欧州歌舞伎舞踊レクチャーデモンストレーション公演が企画された際、私は古典舞踊のほかに、是非この「あなめ」を上演したいと提案し、関係各位のご了解を得て、珠實師「石橋」、私の「豊後道成寺」、若柳吉優亮氏のレクチャーを挟んで、切が「あなめ」というプログラムに決定した。この公演は四カ国七都市を巡演した [オーストリア(インスブルック・ウィーン)、スロペニア(リュブリャーナ)、ドイツ(ベルリン・ケルン)、イタリア (ローマ・ラベンナ)]。

 この「あなめ」の欧州での上演を詠昇師はことのほか喜ばれ、出発直前の稽古では、再び熱心なるご指導をいただいた。幸い、欧州各地での「あなめ」は好評を得たが、その舞台を詠昇師にご覧いただけなかったことがずっと私の心に引っ掛かっていて、なんとか、凱旋の意味も含めて東京での再上演を望んでいたが、なかなか叶わず、三年振りようやく機が熱して、この度の銕仙会での上演の運びと相成った。

 詠昇師のお許しを得、再びご指導いただける約束を交わした当年初、詠昇師はしかし、忽然と旅立たれた。私の無念はこの上なく、もっと早く上演したかったとの思いは痛恨の極みである。

 能舞台での上演に踏み切ったのは、もともと詠昇師の演出が、四方のすすきの配置にみられるように、能的空間を踏まえて創られたことにもあるが、実は、ベルリンとケルンの会場が狭く不便を極めたので、それを逆手にとって、出入りの具合や空間の処理を能舞台的に考案した結果、怪我の功名!、思わぬ効果が出たからである。

 詠昇師に揮げる舞台とすべく、珠實師と協義を重ね、更に練り上げた「あなめ」とする決意である。

- 「中村京蔵舞踊の夕べ」パンフレットより抜粋 -


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